【霊界解放シリーズ617】海東華厳宗の祖·義湘大師「後天時代を開く洛山寺になってほしい!」(2024.11.27)

2024年11月27日

【霊界解放シリーズ617】海東華厳宗の祖·義湘大師「後天時代を開く洛山寺になってほしい!」

栄進任と会話
(11月25日、釜山)

応答:お父様は洛山寺が大好きでしょう?

栄進:うん。

応答:お父様はあそこに4大聖人像を建ててほしかったんですけれども、義湘大師も仏教を統合したかったでしょうね。

栄進:うん。

応答:森羅万象と人間は全て繋がっている一つの有機体であることを教えて統一したかったでしょうね。ですので、4大聖人像を建てたら義湘大師が喜ばれるでしょう。

栄進:うん。

応答:世界統一はそこから始まるかも知れませんね。

(東洋思想において「河圖」は先天時代を意味し、「洛書」は後天時代を意味する。天正宮が位置する張楽(洛)山や洛山寺の「洛」は、後天時代を開く場所であることを示している。)

栄進:本当にそうだったら良いね。

応答:4大聖人が人類の思想や魂を牛耳っているんじゃないですか?

栄進:うん。

応答:それを統一すれば世界統一になるんじゃないですか?大師もそれを願われたからね。これからでも是非成して行きましょう。慶北·栄州市に大師が建てた浮石寺と鷲棲寺がありますよ。

栄進:はい。

応答:本当は鷲棲寺を先に建てたが、後ほど王に頼まれて浮石寺を建てたので鷲棲寺にあった色んなものを浮石寺に移して鷲棲寺には何も残ってないようです。鷲棲寺を見つけた大師は嬉しくて嬉しくて3日間踊ったらしいんですが、本当の話ですか?

栄進:そうだね。

応答:風水的に余りにも素晴らしいところだったからね。

栄進:そうだよ。

応答:浮石寺よりも先に見つけたんですね?

栄進:(頷く)

応答:文殊菩薩さんが教えて下さったそうですよ。

栄進:はい。

応答:使命があるから場所を教えてくれたでしょう。偉大な人物が出て来てほしかったでしょう。是非宗教の過ちを全て蕩減復帰して世界を統一する親孝行の宗教になってほしいですね。本当に神様に愛された仏教なので責任を果たして行きたいですね。

洛山寺·海水観音像
Picsart_24-11-26_23-12-05-048.jpg

海水観音像は1972年に着工し、5年ぶりの1977年に完成した。高さ16m、周囲3.3m、最大幅6mの規模で、全羅北道益山から良質の花崗岩約700トンを運搬して約300トンを削って造り出された。

義湘大師は支配層のみの仏教を望まなかった。三国統一の偉業を達成した文武大王がその威厳を高めるために新しく城郭を築こうとした時、大師は「王の政教が正しければ、たとえ丘に線を引いて壁を作ったとしても民は敢えて越えないだろう。むしろ災いをなくして福を呼ぶだろうが、もし政教が正しくなければ、 長城があっても災害を取り除くことはできないだろう」と真言し、王が工事を中止したと伝えられている。

新羅仏教が「王は仏である」という王即仏信仰を強調し、王の意思を合理化しようとしたのとは異なり、義湘大師は民を慈しむ政治を望んだ。大師の華厳思想は実践を通して平等と調和の世界を実現しようとしたものであり、三国統一後に拡大された新羅社会を統合し安定化させるのに大きく寄与したといえる。

浮石寺
Picsart_24-11-26_19-00-34-763.jpg

浮石寺(慶北·栄州市)は、676年、義湘大師が新羅·文武大王の勅命をうけ建立した大乗仏教·華厳宗の根本道場である。

義湘大師が唐での留学生活を終えて帰国した際に、大師を慕った女性「善妙」が龍に変わり、大師が安全に戻れるように保護したり、浮石寺を立てるように助けたりしたという。本来浮石寺の敷地には邪教の群れが集まっていたが、「善妙」が重い岩を空中に浮かばせ、邪教の群れを追い払った。無量寿殿の隣の岩がまさに「善妙」が浮かばせた岩で、今も浮いていると伝えられている。

禪扉花(ソンビファ)
Picsart_24-11-26_23-03-04-971.jpg

義湘大師は涅槃する時に「私の杖を雨と露に濡れないところに植えておきなさい。杖から葉が出て花が咲くと国運が上がるだろう」と予言した。それ以降、国運が上がって平和な時は何時も葉が出て花が咲いた。大韓帝国末期や日帝時代には葉は出ても花は咲かなかったが、解放と共に再び花が咲いたという。樹齢は1,300年余りだが、高さはわずか1m30㎝である。

鷲棲寺
Picsart_24-11-26_23-05-02-800.jpg

鷲が棲むお寺という意味だが、鷲は智恵を意味し、智恵はまさに最も優れた知恵を持つ文殊菩薩を意味する。風水地理学上ワシ形の山勢を成している。

ある日、智林寺の僧侶が山から放たれている不思議な眩しい光を追っていくと一人の童子が仏像の前で拝んでいた。暫くすると童子は自分は文殊菩薩だと言いながら雲に乗って去っていった。後ほどこの話を聞いた義湘大師が仏像を祀ってお寺を建て、山の名前を文殊山と名付けたという。

(おわり)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA