【霊界解放シリーズ510】東学農民革命「中心人物と一つになったら国を変えることが出来た!」(2023.12.17)
2023年12月17日
【霊界解放シリーズ510】東学農民革命「中心人物と一つになったら国を変えることが出来た!」
東学農民運動(革命)は1894年に起きた内乱で、主な関与者に東学の信徒がいたことから東学党の乱とも呼ばれます。
朝鮮の統治理念である儒教思想の根幹をなす身分差別を否定する内容を含んだ「東学」の創始者・崔済愚が王族と支配層の怒りを買い処刑され、東学の公認を求めた第2代・崔時亨も過酷な弾圧を受けると、南部を中心に起こった暴動が全国へ波及します。
この暴動の鎮圧をめぐって朝廷が外勢(清)を呼び込むと、日本は天津条約を根拠に清と同時に朝鮮へ出兵します。これにより日本と清の対立が激化し、日清戦争へと発展することになります。
栄進様との対話 (12月10日、尚州東学教堂)
尚州東学教堂
栄進:中心人物ということを知っていたら…中心人物ということをね…
応答:中心人物がいなかったのですね?
栄進:言ってみれば、そういうことね。
応答:あの当時は中心人物が何かということすら、わからなかったでしょうね。
栄進:そうでしょうね、中心人物を知っていたら変えられたのよ。
応答:国の方向をですか?
栄進:そうよ。
応答:誰が中心人物にならなければいけなかったのでしょうか?
栄進:彼ら(東学党)は知らなかったのよ。
応答:摂理を知らなかったでしょうから…それを知っていればよかったのですが…
栄進:彼らは自分たちで一度やってみようと思ったでしょう?
応答:誰かが中心人物を立てなければならないという考えは持てなかったのですね?
栄進:まさにそれよ!
応答:天の御意志が何か、そこまでは考えが及ばなかったのですね?
栄進:中心人物という人は、すでにいたのよ。
応答:どういう人ですか?姜甑山…孫秉熙…文潤国牧師…
栄進:違うのよ。
応答:それより前の時代ですか?
栄進:少し前よ。それ(中心人物)を考えられなかったのよ。
応答:当時、日本に留学した改革派の金玉均のような若者たちがいましたね。彼らが政権を握りましたが、民衆の支持基盤がなかったため、結局三日天下で終わってしまいましたね。
*甲申政変(1884.12.4)は、金玉均、朴泳孝、洪英植、徐光範、徐載弼ら急進開化派が清国からの独立と朝鮮の開化を目標に起こした政変であったが、清国の軍事介入と民衆の支持を得られなかったことにより、3日で失敗に終わった。
栄進:そうよ。
応答:民衆と手を組んでいれば、国を変えられたでしょうに。
栄進:その通り、共にやっていればよかったのに。
応答:結局失敗に終わり、双方とも反逆者として処刑されましたね。
栄進:あの人たちが共にやっていればよかったのよ。
応答:上からの改革と下からの改革、双方ともそういう考えを持てなかったのですね。
栄進:その通り。
応答:残念ですね、もしそうなっていたら、日本の力を借りて自立できたでしょうに。
栄進:そうだったでしょうよ。
応答:それが摂理だったなら、近代化できたはずです。それに失敗した結果(日帝によって)強制的に改造されたのでしょうね。
栄進:あの人たちにはできたのよ。
応答:そうでしょうね、実際に政権を握ったのですから、できたはずです。彼らを支援していればよかったのに、なぜできなかったのでしょうか?
栄進:それは、あまりにも違いすぎるからよ。
応答:考え方がですね?結びつける仲保者がいなかったのですね…
栄進:日本がこの国を飲み込もうとしたわけではないのよ。
応答:最初は近代化させようとしましたね。日本留学派を中心に朝鮮版明治維新を起こして力をつけ、共に西洋に立ち向かおうという、そういう動機でしたね。
栄進:そう、そう、その通り。
応答:そのうち後になって変わったのかもしれませんが。
栄進:日本には、そういう方々がいたのよ。
応答:その通りです、良心的な人々がいましたが、それ(甲申政変)が失敗した後、日本の態度が変わりましたね。
栄進:そうよ、その通りよ!
応答:それを拒否したのが王の体制ですね。自分たちの権力を分ける気がなかったから。それで近代化が遅れたのです。
栄進:そうよ。
(おわり)

