【霊界解放シリーズ488】韓国社会福祉の先駆者・尹致浩先生①「自他の区別無き人類大家族を目指して!」(2023.11.07)
2023年11月07日
【霊界解放シリーズ488】韓国社会福祉の先駆者・尹致浩先生①「自他の区別無き人類大家族を目指して!」
韓国社会福祉の先駆者である尹致浩先生(1909-1951)は、19歳という若さで「共に生きる社会」という意味の社会福祉施設「共生園」を設立しました。
彼は教会の伝道師でしたが、日帝時代に48回にわたり連行・拘禁・拷問を受けるほど、民族精神の徹底した民族主義者でもありました。神社参拝という、日帝の弾圧に屈したキリスト教会は総会で神社参拝を決定しますが、先生は神社参拝を拒否し、警察に連行されるなど苦難を経験しました。
朝鮮戦争中も先生は400余名の孤児たちの世話をし、「この子供たちにこれ以上苦しみを与えてはならない。道に迷う幼き羊たちの憩いの場として共生園を築いていくことに、私の全生涯を捧げよう。これは神様との約束であると同時に、私の生涯の使命である」と祈りました。
先生は数え切れないほど多くの他人の子供を連れてきて育てながらも、実は自分の子供を望んでいませんでした。なぜなら、実子が生まれれば孤児たちを育てる妨げになると考えたからです。
子供たちの食べ物を求めて少し出かけてくると言って出れば、一ヶ月も二ヶ月もかかりました。帰り道に困っている人に出会えば、持っているものを分け与え、それでも足りずに服まで脱いで与えてしまうため、いつも無一文でした。
「あなた」と「私」の区別がなく、皆を家族と見なしていました。共生共和国の大統領であり、乞食たちの大将であり、イエス・キリストの12使徒よりも熱心に伝道する伝道師でした。消防車を止めて「火を消すことよりイエス様を信じることの方が急務だ」と伝道し、警察署の世話になったこともありました。
先生は国籍もそれほど気にかけませんでした。日本の女性(尹鶴子)を嫁に迎えることはできないと、絶食してまで反対する母の涙も無駄でした。イエス・キリストを信じれば皆が兄弟姉妹だという信仰が、先生の身に染みついていました。私たちの国籍は天国にあると信じていたからこそ可能なことでした。
解放後、民主主義と共産主義、信託と賛託で互いに分かれて猛烈に対立し、一日も静かな日がありませんでした。しかし先生は、そのどちらでもありませんでした。先生には、思想の境界線のようなものはありませんでした。あえて思想があったとすれば、それは世の中の人々が皆良く暮らすことでした。孤児たちによく食べさせ、よく着せて、後に社会の働き手にすることが先生の思想でした。
そんな中、朝鮮戦争が勃発し、誰の安全も保証できない状況になりました。共産軍はキリスト教徒も嫌い、日本人も嫌うから安全は保証できないと、村の人々が心配しました。先生が戻ってきたという噂を聞いて警察署長が訪ねて来て「人々をむやみに殺していると聞いた」と心配そうな表情で言いました。
すると先生は「罪のない人を殺すはずがないでしょう」と泰然と答えました。先生はいつもそうでした。どんなに大きな出来事が起きても、常に何事もないかのように対処しました。神様の前では、何も恐ろしいことも大したこともなかった先生でした。そうしているうちに42歳だった1951年、孤児院の子供たちの食糧を求めて光州へ出かけたまま、そのまま二度と戻ってきませんでした。
(11月2日、木浦)
霊人:ううううううう…
応答:来てください、来てください!(繰り返す)
霊人:ううううううう…
応答:生き返れ、生き返れ!(繰り返す)
霊人:生き返ることはできないのだ!
応答:生き返ります!神様が生かしてくださいますから、信じてください!生き返れ、生き返れ!(繰り返す)奥様に会いに参りましょう、愛する子供たちに会いに参りましょう!
霊人:ううううううう…
(おわり)

