【霊界解放シリーズ328】福島の偉人・片寄平蔵「石炭業開発の父、開港の恩人」(2023.04.01)

2023年04月01日
【霊界解放シリーズ328】
福島の偉人・片寄平蔵
「石炭業開発の父、開港の恩人」
片寄平蔵は、福島県から茨城県にまたがる日本屈指の常磐炭鉱を発掘した人物です。
1855年、平蔵は川辺でいくつかの黒い石を拾いましたが、好奇心から火の中に投げ入れると、その石に火がついたのです。
平蔵は以前、江戸の石炭商人から石炭について聞いたことがあり、ひときわ興味を感じたといいます。
アメリカの黒船が来航すると、人々は驚きと好奇心に満ちた目で眺めましたが、平蔵の視点は一般の人々とは違っていました。
黒船の動力源である蒸気に石炭が使われていることを知り、故郷で発見した石炭が商売になると考えたのです。
平蔵は鉱脈を探すため、本格的に探査に着手し、福島県いわき市みろく沢で石炭鉱脈の露頭、露出した炭脈を発見することに成功します。
商才に優れていた平蔵は、自ら販売会社を設立し、採掘した石炭を港を通じて江戸へ直接運びました。
幕府政府は品川に軍艦操練所を造り、軍艦に必要な石炭を平蔵に注文します。
政府機関による石炭買い入れの決定により、選炭、良質炭3000俵、1俵=15キログラムを納品し、政府公認の納入業者となります。
この莫大な注文をきっかけに、いわき地方の石炭業は飛躍的に発展することになります。
アメリカのペリー提督の来航を契機に、横浜の開港が決定された1859年、平蔵は横浜に石炭販売所を設置します。
開国か鎖国かをめぐって揺れ動く幕末に、海外貿易に従事し、横浜地域の開発にも力を注いだ平蔵を、横浜の人々は「開港の恩人」として神のように祀り、祭りを開きました。
しかし、平蔵の人生はそれほど長く続きませんでした。
海外へ事業を拡張することを、あまり快く思わない勢力がいたのです。
1860年、日米修好通商条約を推進した大老・井伊直弼が、攘夷派、鎖国派の襲撃によって命を落としたまさにその年に、平蔵も攘夷派の怪漢たちによって斬首され、胴体だけが残る運命となったのです。
みろく沢炭鉱資料館、2023年3月11日

