長野・善光寺、門前町の「石畳」寄進の逸話

 

善光寺の石畳とは

善光寺の仲見世から山門(三門)下まで続く石畳は、かつては全部で7,777枚あったと伝えられています。この石畳は正徳4年(1714年)、江戸の豪商「大竹屋平兵衛」によって寄進されたものです。

大竹屋平兵衛の悲話

平兵衛は江戸で大成功した商人でしたが、一人息子が放蕩生活に溺れ、ついには勘当してしまいます。

その後、落ちぶれた息子は生活に困り、ある夜、実家に忍び込みました。

平兵衛は物音を聞いて泥棒が入ったと思い、槍で突き刺してしまいます。

ところが、灯りをともして見てみると、それは勘当した自分の息子だったのです。

善光寺への供養

息子を誤って殺してしまった平兵衛は深く悲しみ、人生の無常を悟りました。

善光寺へ参詣した際、当時の参道が土道で、雨が降ると参拝者が大変苦労している様子を見ます。

そこで、

「多くの参拝者の役に立つことを息子への供養にしよう」

と考え、参道の敷石を寄進したと伝えられています。

この逸話が伝えるもの

この話は史実として完全に証明されているわけではなく、善光寺に伝わる伝承ですが、江戸時代の人々はこの石畳を見るたびに、

  • 親子の情
  • 人生の無常
  • 懺悔と供養
  • 善行による功徳

を思い起こしたといわれます。

現在でも、善光寺の石畳を歩くと、何百年もの間に無数の参拝者が踏みしめてきた歴史を感じることができます。単なる石の道ではなく、「わが子への供養の道」として語り継がれているのです。

なお、この平兵衛は後に出家し、長野市茂菅の静松寺に関わったという伝承も残っています。

(おわり)

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