「ハウステンボス」その見果てぬ夢

「ハウステンボス」その見果てぬ夢

◆オランダの町を再現したテーマパークではなく、「千年続く都市」を目指した構想

長崎県佐世保市の大村湾沿岸に広がるハウステンボスは、風車、運河、煉瓦造りの街並み、宮殿、ホテル、花畑などを備えた観光施設です。

しかし、創業者・神近義邦が目指したものは、単なる「オランダ風テーマパーク」ではありませんでした。

その根底には、

自然を壊さずに経済を成り立たせ、
人々が住み、働き、学び、文化を楽しみながら、
千年先まで成長していく町を造る

という壮大な都市構想がありました。現在のハウステンボスには、その夢が実現した部分と、完成しないまま残された部分の両方が刻まれています。

1.原点は「長崎オランダ村」

創業者の神近義邦は1942年、長崎県西彼杵郡に生まれました。もともとは自治体職員として農業指導などに携わり、観光事業とは直接関係のない道を歩んでいました。

その後、地域を活性化する事業へ乗り出し、1980年に長崎バイオパーク、1983年に長崎オランダ村を開業します。オランダ村は、長崎と歴史的関係の深いオランダの街並みを大村湾岸に再現した施設で、予想を超える人気を集めました。

しかし、神近の構想は小規模な観光施設にとどまりませんでした。

長崎オランダ村の成功を基礎に、ホテル、住宅、文化施設、商業施設、運河、森林を備えた、長期滞在のできる本格的な「町」を造ろうと考えたのです。

2.なぜオランダだったのか

長崎は、江戸時代の鎖国下でも出島を通じてオランダとの交流を続けた土地です。

医学、天文学、地理学、印刷、航海術など、近代につながる多くの知識がオランダを通して日本へ伝えられました。神近は、この長崎固有の歴史を観光と町づくりに結びつけようとしました。

オランダは、海面より低い土地を堤防や運河によって守り、限られた国土の中で自然と共存してきた国でもあります。大村湾の水辺に環境共生型の町を造る構想にとって、オランダは建築様式だけでなく、国土づくりの思想を学ぶ対象でもありました。

「ハウステンボス」はオランダ語で【「森の家」】を意味します。名称は、オランダ王室の宮殿「パレス・ハウステンボス」の外観を再現する特別許可を得たことに由来します。

3.荒れた工業用地を森と水の町へ

建設地となったのは、佐世保市針尾地区に造成されながら企業誘致が進まなかった工業団地でした。

そこには硬い地盤やコンクリート護岸があり、そのままでは豊かな自然景観を持つ土地とはいえませんでした。ハウステンボスの建設は、建物を並べる前に、傷んだ土地を再生するところから始まりました。

土壌を改良し、長崎の気候に適した約40万本の樹木と約30万本の花を植え、コンクリート護岸の一部を、生物が生息できる石積みの護岸へ造り替えました。海とつながる運河を巡らせ、場内の排水を浄化して自然へ戻す高度な処理設備も導入されました。

つまり、ハウステンボスは自然豊かな土地に町を置いたのではありません。

一度人間の手で傷つけられた土地に、森と水辺の生態系をつくり直した町

だったのです。

4.本物に近づこうとした執念

ハウステンボスの建物は、外国風の外観を表面的に取り入れただけではありません。

オランダ各地の建築を調査し、煉瓦、窓、屋根、街路、運河、橋などを可能な限り本国の様式に近づけました。敷地の最奥には、オランダ王室の許可を得て、ハーグにある宮殿の外観を再現したパレス・ハウステンボスが建設されました。

建設時には、オランダ側の担当者が煉瓦間の目地が本国よりわずかに広いと指摘し、すでに完成していた部分を修正したという逸話も残ります。

この徹底ぶりには、来場者を驚かせるだけでなく、数十年後、数百年後にも価値を失わない、本物に耐える町を造ろうとする姿勢が表れていました。

5.1992年、「海から生まれた街」が開かれる

ハウステンボスは1992年3月25日に開業しました。

広大な敷地には、運河、風車、宮殿、美術館、商店、レストラン、ホテル、別荘、集合住宅などが配置されました。観光客が数時間遊んで帰るだけではなく、何日も滞在し、さらには実際に人が暮らすことを想定した都市的な構成でした。

創業者が掲げたのは、

「千年の時を刻む街」

という理想です。

建物を安価な仮設物として造り、流行が過ぎれば取り壊すのではなく、樹木が育ち、煉瓦が風景になじみ、時間とともに美しくなる町を目指しました。テーマパークというより、文化・環境・観光・居住を統合した実験都市に近い発想だったのです。

6.壮大な夢が抱えた経営上の矛盾

ハウステンボスは美しい町を完成させましたが、経営面では開業当初から厳しい問題を抱えていました。

本格的な煉瓦建築、運河、植栽、ホテル、文化施設、上下水道などを一度に整備したため、巨額の建設費と借入金を背負いました。通常の遊園地より維持費が高く、広大な敷地の景観、建物、運河、樹木を常に管理しなければなりませんでした。

一方、開業直前にはバブル経済が崩壊し、長期滞在型の高級リゾートを支える社会状況が急速に変化しました。

美しい街並みを歩くことには価値がありましたが、一般的なテーマパークのように新しい乗り物や人気キャラクターを次々と投入する仕組みは弱く、繰り返し訪れる動機をつくることにも苦戦しました。入場者数と収益は次第に減少し、赤字体質が慢性化しました。

ここに、ハウステンボスの根本的な矛盾がありました。

千年残る町を造るには、短期的な採算を超えた投資が必要である。
しかし企業として存続するには、毎年利益を上げなければならない。

理想の高さが、そのまま経営の重荷にもなったのです。

7.2003年、会社更生法を申請

2003年2月、運営会社は会社更生法の適用を申請しました。

ハウステンボスは開業後も営業を続けながら、金融支援や経営改善を進めていましたが、入場者の減少と借入負担を克服できませんでした。

これはハウステンボスという町そのものが消滅したことを意味しません。野村プリンシパル・ファイナンスの支援を受け、営業を継続しながら再建が進められました。

しかし、創業者が思い描いた「環境未来都市」と、観光施設として採算を取る経営との間には、大きな距離が残りました。

神近義邦はその後、経営の第一線を離れます。町は残りましたが、創業者が主導する「千年都市」建設は、未完成のまま一つの区切りを迎えたのです。

8.HISによる再生――「町」から「楽しむ場所」へ

2010年、旅行会社HISが経営再建に乗り出し、澤田秀雄が社長に就任しました。

HISは、広大で美しい街並みを保存しながら、来場者が目に見えて楽しめる催しを増やしました。大規模イルミネーション、花の祭典、花火、音楽、アニメ作品との連携などを展開し、季節ごとに訪れる理由をつくりました。

従来は、街並みの「静かな美しさ」に比重が置かれていました。HIS再建後は、そこへイベント、光、音、アトラクションという「動き」が加えられました。

その結果、ハウステンボスはHIS傘下となった年度から10期連続で黒字を達成しました。創業以来18年間続いていた赤字経営を脱し、地域の雇用と観光を支える施設として存続する基盤が築かれました。

ただし、これは創業当初の夢をそのまま完成させたというより、壮大な都市構想を、持続可能な観光ビジネスへ組み替えた再生でした。

9.PAGへの継承と新しい時代

2022年、HISなどが保有していたハウステンボスの株式は、投資会社PAGへ譲渡されました。株式価値の基礎額は約1000億円とされ、PAGが経営権を取得しました。

現在は、オランダの街並みや花、イルミネーションという従来の魅力を基礎に、ミッフィーなどオランダと親和性の高いキャラクターや、大型アトラクション、新しいエンターテインメントを組み合わせる方向へ進んでいます。

一方で、創業時に造成された森と運河は残り続けています。2026年3月には、ハウステンボスの森と運河が環境省の「自然共生サイト」に認定されました。40万本の植樹や生態系に配慮した運河造成という、開業前からの環境再生が改めて評価されたものです。

経営者や事業内容が変わっても、創業者が最初に土地へ植えた思想は、森と水辺の中に生きているのです。

「見果てぬ夢」とは何だったのか

神近義邦の夢は、オランダを精巧に模倣することだけではありませんでした。

その本質は、

  • 経済活動と自然保護を両立させる
  • 観光客だけでなく住民も暮らす
  • 芸術や文化が日常に存在する
  • 建物を使い捨てにしない
  • 森や街が時間とともに成長する
  • 次の世代へ価値を残す

という、新しい都市文明を長崎から示す示ことでした。

その夢は、経営上は完全な成功を収めませんでした。会社は一度破綻し、運営主体も変わり、「環境未来都市」よりも「テーマパーク」としての性格が強くなりました。

しかし、夢がすべて失われたわけでもありません。

煉瓦の町並みは三十年以上の時を重ね、植えられた若木は森となり、人工的に造成された運河には生態系が育ちました。開業当初には新しすぎた「エコロジーとエコノミーの共存」という理念は、現在では持続可能な開発を考えるうえで、むしろ時代の中心的な課題となっています。


まとめ

ハウステンボスの歴史は、単純な成功物語でも、バブル期の失敗物語でもありません。

それは、

地域活性化を願った長崎オランダ村
→ 千年続く環境都市の構想
→ 荒れ地を森と水の町へ変える大工事
→ 1992年の開業
→ 巨額投資と赤字経営
→ 2003年の会社更生
→ HISによる観光施設としての再生
→ PAGのもとで進む新しい展開

という、理想と現実の衝突の歴史です。

神近義邦が夢見た町は、当初の姿のまま完成したわけではありません。

けれども、ハウステンボスが現在も存続し、人々が煉瓦の道を歩き、森や運河を眺め、花や文化を楽しんでいること自体、その夢が完全には終わっていないことを示しています。

ハウステンボスとは、完成された夢の記念碑ではありません。

一人の人間が千年先を見ようとし、現実に敗れながらも、その理想の一部を土地に残した「見果てぬ夢の町」

なのです

(おわり)

 

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