【霊界解放シリーズ385】沖縄戦、奇跡のシムクガマ「生きてしまった私を嫌いにならないで下さい!」(2023.06.17)
2023年06月17日
【霊界解放シリーズ385】沖縄戦、奇跡のシムクガマ「生きてしまった私を嫌いにならないで下さい!」
1945年4月1日、ついに米軍が沖縄本島西海岸に上陸すると、読谷村波平区の住民1,000人以上が自然洞窟「チビチリガマ」と「シムクガマ」に分かれて避難します。ところが、その後の運命は分かれることになります。激論の末、前者は死を選び、後者は生を選んだのです。
「シムクガマ」の全長は2.5kmに及び、「シムク」は下へ向かうという意味を含んでいます。4月1日、米軍兵士数名が洞窟入口に近づき「Come on!殺さない、大丈夫だ!」という言葉を繰り返しますが、長年米軍は鬼畜であると教育されてきた住民たちはその言葉を信じようとしませんでした。この時、パニック状態に陥った住民たちを押しのけて米軍に対抗したのは、13歳〜17歳で構成された護衛団でした。
彼らは怯えた大人たちを後にして、竹槍を手に米軍に立ち向かいました。これに驚いた米軍兵士たちも銃口を向けます。一触即発の瞬間、突然、雷が落ちるような声が響きました。「槍を捨てろ!!!」それは、その場のすべての時間を止めさせるほどの大きく力強い魂の叫びでした。声の主は、ハワイから帰国した比嘉平治氏(当時72歳)でした。
米軍兵士たちは菓子と水、缶詰を置いてその場を去りました。比嘉氏は共にハワイから帰国した叔父・比嘉平三氏(当時63歳)と共に米軍のもとへ赴き、交渉を行います。死んで戻ってこないだろうと信じていた洞窟内の住民たちは、戻ってきた二人を見て驚きましたが、「投降すれば命を保証する」という交渉内容を聞いても信じることができませんでした。
比嘉氏は「非国民」という過酷な非難を受けながらも、最後まで1,000人の住民たちを説得して投降させ、彼らの命を救ったのです。チビチリガマに避難した住民たちのように自決の道を進もうとしていた彼らの考えを変えるため、比嘉氏は必死に説得したといいます。
このような事実をもとに、波平区では命を救った二人の先輩に感謝の意を込め、洞窟内に記念碑を建立しました。

救命洞窟の碑「第二次世界大戦沖縄上陸戦当時(1945.4.1)、波平区住民約1,000人の命が、ハワイから帰国した故・比嘉平治氏、比嘉平三氏によって救われたシムクガマである。」
(5月24日、沖縄)
栄進様との対話
栄進:本当に凄惨だったな、ここだけではないぞ。
応答:実に可哀想ですね。
栄進:(沖縄住民たちは)皆そうだったのだ。
応答:そうでしょうね。
栄進:死ぬしかなかった、死ぬしかなかったのだ…
応答:すでに決まった運命で、死ぬ場所を選ぶことしか残っていなかったのでしょうね?
栄進:「お前は死ね」と言われたら、どうする?
応答:誰かが責任を負わなければならないでしょうが、この命々に対する責任は誰が負うのですか?
栄進:誰も責任を負えないのだ、どうやって責任を負えるというのだ?誰の責任でもないだろう?
応答:神様が責任を負うしかありませんね。責任があまりにも重すぎて、誰も背負いきれないでしょう。
栄進:そうだろうな、どうやって責任を負えるというのだ?
応答:凄惨な結果ですね。
(その後、ガマの中を撮影していると、多くの霊人たちが現れました。上記映像5:30から)
霊人との対話
霊人:もうこれ以上嫌わないでください!嫌い、嫌い、嫌いにならないでください!
応答:大丈夫ですよ、好きです。
霊人:こんな私を嫌わないでください!
応答:大丈夫ですよ。
霊人:ところで、あなたはなぜこんなところまで来たのですか?
応答:皆さんに会いに来ました。可哀想ですから。
霊人:嫌いではないのですか?
応答:どうして嫌いになりましょう、好きですよ。
霊人:生き残ってしまったので!
応答:ああ、生き残ったのですね!
霊人:生きてしまいました。
応答:大丈夫ですよ、生き残って本当によかったです。
霊人:生きてしまいました。
応答:大丈夫です。命は神様がくださったものですから、誰も奪うことはできないのです。
応答:え?今、何とおっしゃいましたか?
霊人:命は神様から授かったものだから、誰も奪うことはできないのです。あなたは尊い人生をしっかり守ったのです。
応答:大丈夫ですか?
応答:もちろん、大丈夫です。
霊人:それでは、もう一度生きることができますか?
応答:もちろん、生きても大丈夫です。命を大切にする人ですから、もう一度命が与えられるでしょう。人間の命より尊いものはありません。ありがとうございます、誰もあなたを非難することはないでしょう。
霊人:(霊界へ旅立つ)
(おわり)


