【霊界解放シリーズ384】百済最後の王・義慈王「人を沢山殺したのはいけなかった!」(2023.06.13)

2023年06月13日

【霊界解放シリーズ384】百済最後の王・義慈王「人を沢山殺したのはいけなかった!」


義慈王は百済第31代の王として、641年に武王が死去すると王位に就き、660年に百済が滅亡するまで20年間統治しました。執権後の初期には強力な王権を築き、新羅をほぼ滅亡寸前まで追い詰めましたが、655年を境に女色と享楽に溺れ、忠臣を遠ざけ、唐・新羅連合軍に敗れることで亡国の王として記録されます。

『三国遺事』によれば、義慈王の父である武王の王妃は善花公主(新羅・真平王の三女)であるとされています。しかし2009年、全羅北道益山の弥勒寺址石塔から発見された金製舎利奉安記によれば、武王の王妃は宰相・沙宅積徳の娘「沙宅王后」であると明記されています。

当時、沙宅氏は最も有力な貴族であり、武王は沙宅王后を王妃に迎えることで支持基盤を広げようとしたのです。沙宅王后は財物を寄進して弥勒寺を創建したとされています。義慈王は武王が崩御した後も権力を握っていた沙宅王后を仕え敬い、王后が産んだ兄弟たちの牽制を黙って受け入れながら、忍耐の歳月を過ごすことになります。

そうして沙宅王后が亡くなると、ついに政変を起こすことになります。核心権力層といえる沙宅王后の血族と大臣ら40余名を島へ追放したことから、沙宅王后は義慈王の実母ではないことがわかります。(栄進様によれば、義慈王の母親は沙宅王后でも善花公主でもない第三者であったとのことです。)当時、義慈王は新羅を攻撃し、すでに40の城を奪って堅固な支持基盤を築いていました。

しかし義慈王は655年を境に次第に享楽に溺れていき、庶子41人に宰相職を授けて百済の16官等体系を崩し、忠臣・成忠を投獄し、興首を流刑に処します。海東孔子と崇められた義慈王が聡明さを失い、忠臣たちの直言を無視して酒色にふけった理由は何だったのでしょうか?

『三国史記』によれば、新羅の間者(スパイ)である租未押が美貌の巫女・錦花を百済に連れて入り、百済の宰相「任子」を通じて義慈王に近づき、酒色によって聡明さを曇らせ、忠臣たちを流刑にし牢に閉じ込めることで義慈王のそばから引き離したとされています。

義慈王は連戦連勝による自信過剰から、自らの意のままに王権を行使しました。また王妃である郡大夫人・恩古を過度に寵愛し、忠臣の諫言を聞かず、奢侈と享楽に溺れることもありました。恩古は妖女として記録されており、実権を掌握して政治を左右し、百済が「自ら滅んだ」と評されることになった人物でもあります。

成忠は義慈王に酒色を慎むよう諫言し、投獄されてしまいます。成忠は幼い頃から知恵と知略に優れ、新羅の欺瞞策略に騙されず、戦争を勝利に導いた百済最高の知将でした。

唐と新羅が連合して百済を攻撃しようとする動きが具体化していましたが、義慈王はこれに気づきませんでした。戦争を予見した成忠が、死の直前にその対策を上奏しましたが、義慈王は最後まで顧みませんでした。その後、百済の滅亡を暗示する兆しが各所に現れましたが、義慈王はこれを百済衰亡の兆しと解釈した巫女を殺し、反対に解釈した者の言葉を喜んで受け入れました。

新羅と唐軍の出兵の知らせを聞いた義慈王は、臣下たちと対策を協議しましたが、どちらと先に戦うべきか意見が分かれました。仕方なく流刑中だった宰相・興首に助言を求めると、かつて成忠が諫言した通りの答えが返ってきました。しかし臣下たちは興首の忠誠を疑い、これを受け入れませんでした。

こうして百済は滅び、義慈王をはじめ太子や王子、大臣ら88人、民12,807人が唐の都・洛陽へ連行され、義慈王は洛陽に到着してほどなく死去します。

(5月21日)

霊人:待っていたぞ!

応答:そうなのですか?

霊人:待っていた、はるか遠くからそなたが来てくれたのだな!

応答:あなたにお会いできる喜びで、遠くには感じませんでした。

霊人:実に遠いところから来たのに、ここまで何用で来たのだ?

応答:あなたのような立派な立派な方にお会いできる喜びで訪ねて参りました。

霊人:私に会う喜び?

応答:そうです、それ以上の喜びがどこにありましょうか。

霊人:奇妙なことを言う者だな!

応答:そうですか?

霊人:私に会うのが喜びなのか?

応答:その通りです。

霊人:奇妙な者だな!

応答:誰も訪ねて来ないのですか?

霊人:来ない。

応答:本当に遠く離れたところにいらっしゃるのですね?

霊人:そなたこそ、遠いところにいるではないか?

応答:ところで、あなたはなぜこの場所にいらっしゃるのですか?

霊人:さあ、何か間違えたのだろうか?随分昔の話だが、多くの人々に会った。

応答:それは、良いことですね。

霊人:あの者たちが、いろいろなことを言ったのだ。

応答:何と言ったか、覚えていますか?

霊人:どこへでも気の向くままに行けと、そんな…?

応答:それで、どこかへ行ったのですか?

霊人:行くところがないのだ。

応答:ただ出て行けということですね。必要ないから?邪魔になるから?

霊人:おそらく邪魔になったのだろうな!

応答:なぜ追い出そうと躍起になったのでしょう?

霊人:何もしないから。

応答:なぜ何もしなかったのですか?まったく意欲がなかったのですか?

霊人:意欲はあったが、させてもらえなかったから…それで良いこともあったし悪いこともあった。

応答:どんな悪いことをしたのですか?

霊人:良いこともした!

応答:何をしたのですか?

霊人:良いことといえば、女人たちが大勢いたのだ!

応答:それは良いことですね。

霊人:良いことだ。

応答:嬉しいことですね。

霊人:ああ、嬉しかったのだ。

応答:楽しいことですね。

霊人:楽しかった、女人たちがとても大勢いたからな。

応答:女人たちに囲まれて暮らしたのですね?

霊人:ああ、そうかもしれないな。

応答:悪いことは何をしたのですか?

霊人:何もしていない。

応答:女人たちと遊んでばかりいたのですか?

霊人:それは違う!

応答:どんな悪いことをしたのですか?

霊人:人を大勢殺したのだ!それはいけないことだった、人を殺したのはいけないことだった!

応答:それであの人たちが恨みを抱いて怨んでいるので、この遠い場所に隠れて暮らしているのですか?

霊人:ああ、してはならないことをしたのだ!

応答:あの女人たちは、皆どこへ行ったのですか?

霊人:今はみんな消えてしまったのだ!

応答:それでは、話し相手が誰もいませんね。

霊人:その通りだ、なぜこんな有様になったのだろうか?多くの人々にやられたのだ!

応答:人々を大勢殺したのですから、仕返しをしたかったでしょう。

霊人:良いこともあったが、過酷な代償を払ったのだ!

応答:胸が痛むでしょう。

霊人:過酷な代償を払ったのだ!

応答:さあ、これから新しく始めましょう!間違って生きた人生、もう一度生きてみましょう!人生を新しく書き直しましょう!

霊人:また、できるだろうか?

応答:もちろんです、人生を新しく書き直すのです。

霊人:今からか?もう難しいのではないか?

応答:もう一度チャンスが残っています、復活祭というものがあります。

霊人:そうか、今から私にできることがあるだろうか?

応答:もちろんできます。

霊人:それでも難しかろう。何をすればいいのかわからないのだ。

応答:きっとあなたは才能に恵まれた方でしょう。

霊人:いや、ううう…

応答:神様がくださった才能ですから、大切に良いことのために使いましょう!

(義慈王は忠臣たちを死なせた罪悪感のため、まだ霊界へ行きたくない様子です。)


益山双陵(全羅北道)。大王陵は百済武王の陵、小王陵は盗掘の状態がひどく不確実。栄進様に確認したところ、小王陵は善花公主の墓であるとのことです。

(おわり)

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