【霊界解放シリーズ468】東北アジア初の海上戦闘、白村江戦闘「東津江?錦江?唐津?」(2023.10.09)

2023年10月09日

【霊界解放シリーズ468】東北アジア初の海上戦闘、白村江戦闘「東津江?錦江?唐津?」


661年、唐・新羅連合軍の挟撃により窮地に追い込まれた百済は、急ぎ倭に援軍を要請します。すると倭王(斉明天皇)は自ら陣頭指揮を執り、1,000余隻の軍船と4万2千人の大規模な兵力を、百済の周留城付近の白江へ急派します。

これに対し唐は水軍7千人と軍船170余隻を派兵し、663年8月、歴史的な「白村江の戦い」が繰り広げられることになります。この戦いは、大陸(唐)と半島(百済・新羅)、そして列島(倭)がすべて参加した東北アジア初の海上戦闘でした。

結果的に倭軍は圧倒的な数的優位にもかかわらず、4度にわたる激しい戦闘で唐に完敗し、400隻が焼け落ちるなど、ほぼ全滅同然の状態となります。結局、百済復興運動の本拠地であった周留城が陥落することで、百済は歴史の彼方へと消え去ってしまいます。

その後、白村江の戦いに対する倭のトラウマは、新羅への深い恨みへとつながり、文禄・慶長の役、日帝時代、そして最近の日韓の葛藤に至るまで、我が民族と日本との根深い反目と葛藤の原因となりました。

倭へ亡命した百済の王族や貴族たちは「今日をもって国の名が絶えたのだから、先祖の墓も再び訪れることができなくなった」として、国を取り戻すまで喪服を脱がないと誓ったといい、その衣が着物へと発展したといわれています。

今日、白村江の戦いが繰り広げられた場所として、全羅北道の東津江や忠清南道の錦江、唐津などが挙げられますが、栄進様に確認した結果、東津江下流が正しいとのことです。

この場所には現在、33.9kmに及ぶ世界最長の「セマングム防潮堤」が建設されていますが、平均幅290m(最大535m)、平均高さ36m(最大54m)で、大部分が水中に沈んでおり、外に現れている部分は平均高さ11mです。

(去る10月1日、「セマングム防潮堤」を車で一周してみると、まるで日韓トンネルの海上高速道路を走っているような気分でしたが、この日お父様も共に喜んでいらしたのではないかという思いでした。)

(おわり)

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