黒四ダム完成の偉業

黒四ダム完成の偉業

――秘境・黒部に挑んだ「世紀の大工事」

「黒四ダム」と呼ばれることが多い巨大ダムの正式名称は黒部ダムです。

「黒四(くろよん)」とは、本来、黒部川第四発電所の略称であり、広い意味では黒部ダム、地下発電所、水路、資材輸送路などを含む一大電源開発事業全体を指します。黒部ダムは、単独の建造物というより、戦後日本の電力不足を克服するために造られた巨大システムの中心でした。

1.なぜ黒部の山奥にダムを造ったのか

第二次世界大戦後、日本の産業は急速に復興しました。工場の生産が拡大し、家庭でも電気の利用が増えたため、1950年代の関西地方では深刻な電力不足が起こっていました。

一方、北アルプスを流れる黒部川は、

  • 高い山々の雪解け水と豊富な降水量
  • 急峻な地形
  • 非常に大きな高低差

を備え、水力発電には理想的な河川でした。

しかし、黒部峡谷は切り立った岩壁と豪雪に囲まれ、「人を寄せ付けない秘境」といわれた地域です。豊かな水力資源があることは以前から知られていましたが、最上流部での大規模開発は、あまりにも困難だと考えられていました。

関西電力は、その黒部川上流に巨大なダムと発電所を建設することを決断します。発足間もない会社にとって、まさに社運をかけた事業でした。

2.1956年、世紀の大工事が始まる

黒四建設は1956年に始まりました。

完成までに要したものは、

項目 規模
工事期間 約7年間
総工費 513億円(当時)
投入された労働力 延べ約1,000万人
完成 1963年6月
建設工事全体の殉職者 171人

でした。総工費の約4分の1は世界銀行からの融資でまかなわれました。当時の日本にとって、技術的にも財政的にも国際的な信用を問われる国家的規模の計画でした。

3.最大の難関は、ダム本体より「道を造ること」

黒部ダム建設の最初の大問題は、ダムを造る以前に、現場まで人と資材を運ぶ方法がなかったことでした。

北アルプスの奥深くに、セメント、鉄材、重機、食料などを大量に運び込まなければなりません。そのため長野県の扇沢側から、山を貫く資材輸送用トンネルが掘られました。現在の関電トンネルです。

ところが掘削の途中で、工事隊は予想外の軟弱地盤に遭遇します。

4.「破砕帯」との死闘

破砕帯とは、地殻変動によって岩盤が細かく砕かれ、その隙間に大量の地下水を含んだ地層です。

トンネル工事中、約80メートルにわたる破砕帯から、摂氏約4度の冷たい地下水と土砂が、最大で毎秒約660リットルも噴き出しました。掘っても岩や土砂が崩れ、作業現場へ水が流れ込みました。

わずか80メートルを突破するために、約7か月を要しました。

技術者たちは、

  • 別の坑道を掘って水を抜く
  • 地盤に薬剤を注入して固める
  • 岩盤を補強しながら少しずつ掘り進む

など、当時考えられる方法を総動員しました。

1957年12月、ついに破砕帯を突破します。この難工事は後に小説や、石原裕次郎主演の映画【『黒部の太陽』】で描かれ、黒四建設を象徴する出来事となりました。

5.日本一の高さを誇る巨大アーチダム

完成した黒部ダムは、

  • 高さ186メートル
  • 堤頂の長さ492メートル
  • 総貯水量約2億立方メートル

という巨大なアーチ式ダムです。高さ186メートルは現在も日本一です。

アーチ式ダムは、上流から加わる水圧を、湾曲したダム本体から左右の強固な岩盤へ分散させる構造です。

ダム自身の重さだけで水圧を受け止める重力式ダムと比べ、コンクリートの量を抑えながら巨大な水圧に耐えられます。ただし、左右に非常に強い岩盤が必要なため、建設できる場所は限られます。

黒部ダムの美しい湾曲は、単なるデザインではありません。約2億立方メートルもの水の圧力を、北アルプスの岩盤へ受け流すための合理的な形なのです。

6.発電所も地下に建設

黒部ダムで蓄えられた水は、水路を通って下流の黒部川第四発電所へ送られます。

発電所は自然景観への影響などを抑えるため地下に設けられました。現在の最大出力は33万7,000キロワットで、黒部川全体の水量を調節することによって、下流にある発電所の発電能力も高めています。

黒部川第四発電所では、大きな落差を利用し、勢いよく噴射した水をペルトン水車に当てて発電します。当時導入された水車や大規模貯水池式発電の技術は高く評価され、後にIEEEマイルストーンにも認定されました。

7.171人の犠牲を忘れてはならない

黒四建設では、トンネル掘削、輸送、ダム本体、地下発電所など、事業全体で171人が殉職しました。

ダムの近くには、彫刻家・松田尚之による「六体の人物像」と慰霊碑が建てられています。碑には、

尊きみはしらに捧ぐ

という言葉と、殉職者の名前が刻まれています。

したがって、黒部ダムの完成を「偉業」と呼ぶとき、それは技術や規模だけを称賛する言葉であってはなりません。その陰で失われた命と、極限の環境で働いた人々への追悼を伴って語られるべきものです。

8.黒四完成の何が偉業だったのか

① 秘境へ資材輸送網を造った

道路も鉄道もない山奥で、まずトンネルや工事用交通路を造り、そこからダム建設を始めました。ダムだけでなく、現場へ到達する仕組みそのものを一から構築した事業でした。

② 未知の地質に技術で立ち向かった

破砕帯の出現によって計画は重大な危機に直面しました。それでも技術者と作業員は、排水、薬液注入、補強工事などを組み合わせて突破しました。

③ 巨大な建造物を高山地帯に完成させた

豪雪、雪崩、落石、急峻な地形という条件の中、高さ186メートルの巨大アーチダムと地下発電所を完成させました。

④ 戦後復興と高度経済成長を支えた

黒四の電力は、関西地方の工業生産と市民生活を支えました。黒部ダムの完成は、単なる一企業の成功ではなく、日本が戦後復興から高度経済成長へ進むための基盤整備でもありました。

⑤ 日本の土木技術への自信を生んだ

国際融資を受け、厳しい技術審査を乗り越えて完成した黒四は、日本が世界水準の巨大土木事業を遂行できることを示しました。

東海道新幹線や高速道路と並び、戦後日本の技術力と組織力を象徴する事業の一つとなったのです。

9.映画『黒部の太陽』が伝えたもの

黒四建設の物語は、木本正次の小説『黒部の太陽』となり、1968年には石原裕次郎、三船敏郎らによって映画化されました。

作品の中心となったのは、巨大ダムの美しさではなく、関電トンネルの破砕帯に挑んだ人々の苦闘でした。映画によって、黒四は単なる発電施設ではなく、

人間が自然の脅威と向き合い、仲間と力を合わせて困難を克服した物語

として、日本社会に記憶されるようになりました。

まとめ

黒四ダム完成の偉業とは、単に「日本一高いダムを造った」ことではありません。

戦後の深刻な電力不足を解消するため、道さえない北アルプスの秘境に入り、破砕帯、豪雪、急峻な地形と闘いながら、資材輸送路、巨大ダム、地下発電所を一体として完成させたことに、その本質があります。

そして忘れてはならないのは、この偉業が多くの労働者の献身と、171人の尊い犠牲の上に成り立っていることです。

黒部ダムの巨大な堤体は、戦後日本の復興、技術者たちの知恵、現場作業員の勇気、そして失われた命の記憶を、今日まで静かに伝えているのです。

(おわり)

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