諏訪大社最大の神事・式年造営御柱大祭

諏訪大社最大の神事・式年造営御柱大祭

◆巨木を山から曳き、神域の四隅に建てる「天下の大祭」

長野県・諏訪湖周辺に鎮座する諏訪大社では、寅年と申年の「七年目ごと」に、最大の神事である式年造営御柱大祭が行われます。一般には「御柱祭(おんばしらさい)」の名で知られています。

祭りの中心は、巨大なモミの木を山から人力で曳き出し、諏訪大社の四つの宮の四隅に建てること、そして神霊を奉安する御宝殿を造営することです。勇壮な「木落し」が有名ですが、本質はあくまで神社を新たにし、神域と地域社会をよみがえらせる式年神事にあります。

1.諏訪大社は四つのお宮からなる

諏訪大社は、一つの境内だけを持つ神社ではありません。

  • 上社本宮
  • 上社前宮
  • 下社秋宮
  • 下社春宮

という四つの宮が諏訪湖を囲むように鎮座しています。

御柱祭では、それぞれの宮に4本ずつ、合計16本の御柱が建てられます。柱は「一之御柱」から「四之御柱」まであり、数字が若いほど一般に太く大きな木が選ばれます。

2.なぜ「七年に一度」なのか

御柱祭は、十二支の寅年と申年に行われます。寅年から申年までは満年数では6年ですが、祭礼では前回を一年目として数えるため、「七年目ごと」「七年に一度」と表現されます。

なぜ寅年と申年なのかについて、確定した理由は分かっていません。公式案内では、寅と申には「動く」「うごめく」という意味があり、草木の芽吹きや作物の成熟に結び付けられたという説が紹介されています。

3.いつから始まったのか

御柱祭の正確な起源は明らかになっていません。

室町時代に成立した『諏訪大明神画詞』には、平安時代初期の桓武天皇の時代に「寅・申の干支に当社造営あり」と記されています。この記述に基づき、御柱祭は少なくとも1200年以上にわたる伝統を持つと説明されています。

諏訪大社の公式説明では、804年ごろから信濃国全体が奉仕する式年造営となり、戦国時代には武田信玄も祭礼の維持に力を入れたとされています。

ただし、「最初の御柱祭が何年に始まったか」「なぜ四本の柱を立てるようになったか」については、今も確定していません。

4.「式年造営」とは何か

正式名称の「式年造営」とは、定められた年ごとに神社の建物や祭具を新しくすることです。

諏訪大社には、神霊の依り代を奉安する東西二つの御宝殿があり、御柱祭のたびに一方を交互に造り替えます。そして神霊を新しい宝殿へ移す儀式が、宝殿遷座祭です。

つまり御柱祭は、

古いものに感謝して役目を終えてもらい、
新しい宝殿と御柱によって神域を再生する

という神道の更新思想を表した祭りなのです。

5.御柱はどのように選ばれるのか

御柱祭は、祭りの年だけに始まるのではありません。

上社では祭りの二年前、下社では三年前から、山中で候補となる木を選ぶ「仮見立て」が始まります。その後「本見立て」によって御柱となる木が正式に決まり、上社では神霊が宿るとされる薙鎌を幹へ打ち込みます。

上社の8本は八ヶ岳山麓の御小屋山、下社の8本は霧ヶ峰に続く東俣の山林から選ばれます。明治以降は主としてモミの木が使われ、大きな柱は長さ約17メートル、重さ約13トンに達します。

6.第一幕「山出し」

4月に行われるのが、伐採された御柱を山から里へ運ぶ山出しです。

巨大な木を車両やコロに載せるのではなく、多数の氏子が綱を曳き、梃子を使って地面の上を進ませます。一本の御柱を動かすため、1000人から2000人が力を合わせることもあります。

木遣り衆が独特の節回しで声を響かせると、それに応えて氏子たちが、

よいさ、よいさ

と掛け声を上げ、綱を曳きます。

ここでは単なる腕力ではなく、木遣り、元綱、追掛綱、梃子衆など、多くの役割が同じ呼吸で動くことが求められます。

7.最大の見せ場「木落し」

山出しで最もよく知られているのが、御柱を急斜面から落とす木落しです。

上社の木落し坂は斜度約27度で、柱の前後に取り付けられた角状の「めどでこ」に氏子が乗ったまま、御柱が坂を下ります。

下社の木落し坂は最大斜度約35度、長さ約100メートルにも及びます。合図とともに綱が切られると、御柱が土煙と轟音を上げながら急坂を滑り落ちます。

木落しは度胸の見せ場として注目されますが、実際には綱や梃子を扱う人々の技術、判断、連携によって成立する極めて緊張度の高い行事です。

8.上社の「川越し」

上社山出しの最後の難所が、宮川の川越しです。

御柱と氏子たちは、雪解け水が流れる冷たい宮川を渡ります。これは単なる運搬上の難所ではなく、御柱を水で洗い清める意味があるとも説明されています。

木落しが火花のような激しさを持つとすれば、川越しは山から来た巨木が水によって清められ、神域へ近づいていく通過儀礼のようにも見えます。

9.第二幕「里曳き」

山出しから約1か月後、新緑の5月に行われるのが里曳きです。

荒々しい山出しとは対照的に、里曳きでは騎馬行列、長持ち行列、花笠踊り、龍神の舞などが披露され、御柱は華やかな行列とともに各宮へ向かいます。

子どもから高齢者まで多くの氏子が参加し、町や村ごとに受け継いできた衣装、芸能、囃子を披露します。御柱祭が、勇壮な男衆だけの祭りではなく、地域全体の祭りであることが最もよく表れる場面です。

10.「冠落し」と「建御柱」

境内へ着いた御柱は、先端を三角錐状に削る冠落しを受けます。

その後、綱やワイヤーを使って少しずつ起こされ、ついには垂直に立ち上がります。これが祭りの最終的な頂点である建御柱です。

柱の先端には大御幣が打ち付けられます。山中に立っていた一本の木が、氏子たちの手で山を下り、数々の難所を越え、社殿の四隅に立つ御神木へと変わる瞬間です。

11.なぜ四隅に御柱を建てるのか

御柱の宗教的意味については、一つの定説があるわけではありません。

代表的な説には、

  • 神域の範囲を示す境界標
  • 神霊が降りる依り代
  • 古代の巨大社殿造営の名残
  • 社殿全体を建て替える代わりとなる象徴
  • 四方を鎮め、神域を守護する柱

などがあります。公式案内でも20種類以上の説があるとされ、起源と意味は今も謎に包まれています。

この意味の多層性こそが、御柱祭の古さを物語っています。祭りの始まりがあまりに古いため、後世の人々にも本来の意味が完全には伝わらなかったのでしょう。

12.上社と下社の違い

御柱祭は、上社と下社で同じように見えて、細部が異なります。

上社の御柱には、柱の前後に「めどでこ」と呼ばれる角状の木が取り付けられ、氏子が大勢乗ります。一方、下社の御柱にはめどでこがありません。

また上社では担当する柱を抽選で決めますが、下社では担当地区がおおむね伝統的に定められています。こうした違いは、諏訪大社が四宮からなることと、各地域が独自の慣習を守ってきたことを示しています。

13.御柱祭の本当の魅力

御柱祭の魅力は、巨木が坂を落ちる迫力だけではありません。

一本の木を動かすには、力の強い人だけでなく、綱を作る人、木遣りを歌う人、進路を見極める人、梃子を操る人、行列を整える人、食事を用意する人など、無数の役割が必要です。

そこで求められるのは、個人の強さよりも大勢の心と力を一つにすることです。諏訪大社も御柱曳行を「人力のみ、人々の和をもって」と表現しています。

まとめ

式年造営御柱大祭は、山から伐り出した16本の巨木を人力で曳き、諏訪大社四宮の四隅に建て、御宝殿を新しくする神事です。

そこには、

山の木を選ぶ祈り
人々が力を合わせて曳く共同体の結束
木落しと川越しによる試練と清め
里曳きによる祝祭
御柱を神として立てる再生

という一つの壮大な物語があります。

御柱祭とは、人間が巨木を征服する祭りではありません。山から神聖な木を迎え、地域のすべての人々が力を合わせて神の場所へ送り届ける祭りです。

だからこそ御柱は、一本の巨木であると同時に、諏訪の人々の信仰、記憶、団結を目に見える形にした柱なのです。

(おわり)

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