特別な山、剱岳の謎
特別な山、剱岳の謎
1. 剱岳とは
剱岳〔つるぎだけ〕は、北アルプス北部・立山連峰を代表する岩峰で、標高は2,999mです。国土地理院は2004年にGPS測量を行い、剱岳の標高を2,999mと発表しました。あと1mで3,000mという高さですが、その険しさは日本の山岳の中でも別格で、しばしば「岩と雪の殿堂」と呼ばれます。
剱岳の魅力は、単に高い山であることではありません。鋭い岩稜、切れ落ちた谷、雪渓、鎖場が連続する山容にあり、立山信仰・修験道・近代測量史・日本登山史が重なり合う、非常に象徴的な山です。
2. 「初登頂」の謎――古代の修験者が先に登っていた
剱岳登頂史で最も有名なのは、「近代人が初登頂したと思ったら、山頂に古代人の痕跡があった」という出来事です。
1907年、明治40年、陸軍参謀本部陸地測量部の測量隊が剱岳山頂に到達しました。そのとき山頂で発見されたのが、銅錫杖頭〔どうしゃくじょうとう〕と鉄剣です。富山県の文化財説明によれば、この錫杖頭と鉄剣は奈良時代後半から平安時代初期のものと推定され、これによって剱岳には古代の修験者がすでに登頂していたことが判明したとされています。
つまり、剱岳の「本当の初登頂者」は名前も時期も正確には分かりません。しかし、少なくとも千年以上前、立山信仰に関わる修験者のような人々が、極めて危険な山頂に到達していた可能性が高いのです。
この発見物は、現在「銅錫杖頭附鉄剣」として国の重要文化財に指定されています。指定は1959年で、所在地は富山県立山町の立山博物館とされています。
3. 明治40年、柴崎芳太郎測量隊の登頂
近代登山史・測量史における剱岳登頂の中心人物が、陸地測量部の測量官柴崎芳太郎です。
国土地理院によれば、1907年7月、柴崎芳太郎を測量官とする測量隊が、三角点を埋設するために剱岳山頂に挑みました。この測量登山から100年となる2007年には、国土地理院北陸地方測量部が「剱岳測量100年記念事業」を行っています。
この出来事は、新田次郎の山岳小説『剱岳・点の記』によって広く知られるようになりました。「点の記」とは、三角点の位置や設置経緯を記録する測量上の文書のことです。剱岳は当時、地図作成上の「空白」とも言える場所であり、そこに国家測量の手を入れることは、明治日本の近代化事業の一部でもありました。国土地理院も、当時の測量の様子や「点の記」が新田次郎の長編山岳小説に描かれたと紹介しています。
4. なぜ剱岳は特別なのか
剱岳が特別視される理由は、三つあります。
第一に、山そのものが非常に険しいことです。一般登山道であっても岩場・鎖場・高度感の強い箇所が多く、通常のハイキング感覚では登れません。
第二に、信仰の山としての性格です。立山一帯は古くから山岳信仰の舞台であり、剱岳もその神秘的・畏怖的な山域の一部でした。山頂で見つかった錫杖頭と鉄剣は、単なる登山記念品ではなく、信仰・修行・祈りと結びついた登頂の痕跡と考えられます。
第三に、近代国家の測量史と結びついていることです。明治の測量隊が、正確な地図を作るために命がけで山頂を目指したことにより、剱岳は「登山の山」であると同時に「地図づくりの山」として記憶されるようになりました。
5. 現在の主な登山ルート
現在、一般登山者が剱岳を目指す代表的なルートは大きく二つです。
一つは、室堂方面から入り、剱沢・剣山荘方面を経由して登る別山尾根ルートです。富山県公式観光サイトでは、立山黒部アルペンルートで室堂に入り、雷鳥沢、剱御前、剱沢を経て、一服剱、前剱から山頂へ向かうルートとして紹介されています。このルートには有名な難所「カニのたてばい」「カニのよこばい」があります。
もう一つは、上市町の馬場島から登る早月尾根ルートです。こちらは標高約740mの馬場島から標高2,999mの山頂まで一気に高度を上げる長大な尾根で、早月小屋を経由して山頂を目指します。THE JAPAN ALPSは、早月尾根を「一般登山者が登る山としては最高難度にランクされる剱岳」のルートとして説明し、急勾配や鎖場、アップダウンへの注意を促しています。
6. 結論
剱岳の登頂史は、単純に「誰が最初に登ったか」という話ではありません。
古代の修験者が山頂に祈りの痕跡を残し、明治の測量隊が近代国家の地図作成のために挑み、現代の登山者が岩稜と鎖場を越えて頂を目指す――そのすべてが剱岳の歴史です。
剱岳は、日本の山の中でも特に、信仰の山、測量の山、登山者憧れの山という三つの顔を持つ名峰だと言えます。
(おわり)


