【霊界解放シリーズ348】朝倉義景「自分が情けない!家門の名誉のために苦しんだ!」(2023.04.23)

2023年04月22日
【霊界解放シリーズ348】
朝倉義景
「自分が情けない! 家門の名誉のために苦しんだ!」
室町時代、1336〜1568年の猛将として、朝倉家の第7代当主であった朝倉孝景は、当時の城主たちが彼を敵に回さず、自分の味方に引き入れようと競い合ったほど、恐れられた存在でした。
その後、朝倉家は、戦国時代の名門家が次々と没落していく中、彼らの援軍として各地に出兵し、名門家を助ける新たな名門家として、次第に名声を高めていきます。
ところが、戦国時代の中頃に織田信長が登場し、朝倉義景が第11代当主となって以降、一瞬にして一族滅亡の禍を受けてしまいます。
1565年、朝倉家と親密な関係にあった将軍・足利義輝が殺害されると、その弟・義秋が朝倉家へ避難し、3年間世話になります。
義秋は将軍職を継承することを決意し、朝倉に都・京都の奪還と支援を求めますが、朝倉が応じなかったため、大きく失望します。
そこで義秋は信長に支援を求め、ついに将軍へ復帰し、信長は第一の功臣として、戦国大名たちの頭領として位置づけられるようになります。
義秋は将軍就任の祝宴に、各大名たちが出席するよう求めます。
しかし今回も朝倉は、名門であるという自尊心のため、信長に挨拶することが気に入らなかったのか、
「信長の田舎者が、何をたわけたことを言っているのだ」
として、きっぱりと拒絶し、対抗します。
ところが、朝倉の側近の中から反旗を翻す者が続出したため、結局、彼の拠点であった一乗谷は3日間燃え続け、跡形もなく消え去ってしまいます。
朝倉が、低い身分から頭角を現した信長に従わなかったことには、彼の名門意識が作用していたものと思われます。
家格において、朝倉家は織田家よりはるかに上でした。
また信長は、幼い頃から奇行が目立ち、「うつけ」というあだ名が付くほどでした。
それに比べて朝倉は、皇室や武家の儀式・行事に関する学問に精通した人物でした。
もし朝倉が祝宴に出席すれば、信長の下に入ることは火を見るより明らかでした。
したがって朝倉は、心情的に出席したくなかったというより、出席することができなかった可能性が高いのです。
霊人:
だから私は悔しいのだ!
応答:
そうでしょう。
悔しいでしょう。
霊人:
そうだ!
応答:
名高い名門家だったではありませんか?
霊人:
そうだと思う。
応答:
誇らしいことです!
霊人:
違う!
応答:
そうですか?
霊人:
そうは思わない!
応答:
そうなのですね。
もう一度やってみましょう!
霊人:
違う。
何もしたくない!
応答:
そうですか?
霊人:
悔しいのだ!
それよりも、自分自身があまりにも情けない!
何もしたくない。
応答:
そうだったのですね。
いつか時が来れば、私もお助けします。
今度は違うでしょう。
霊人:
何のために?
応答:
名門家だったのに、あまりにも惜しいではありませんか。
霊人:
そのようなものは、もう必要ない!
応答:
必要ないのですか?
霊人:
必要ない!
応答:
ご先祖様たちの面目を立てて差し上げなければなりませんね。
霊人:
そのために苦しかったのだ!
応答:
そうだったのですね。
あなたは守りたかったのですね?
そのような心情だったのですね。
霊人:
そうだ!
応答:
その心が本当にありがたいです。
霊人:
苦しかったのだ!
応答:
もちろんです。
苦しかったでしょう!
霊人:
頼むから、帰ってくれ!
応答:
分かりました。
霊人:
帰ってくれ!
応答:
分かりました。
いつかまたお助けしますので、その時は呼んでください!
(おわり)

