【霊界解放シリーズ304】関ヶ原の戦い「天下泰平、戦いに勝つ人はビジョンを持たなければ!」(2023.02.18)

2023年02月18日
【霊界解放シリーズ304】
関ヶ原の戦い
「天下泰平、戦いに勝つ人はビジョンを持たなければ!」
2月7日、岐阜県不破郡にある関ヶ原古戦場を訪問した時の、栄進様との対話です。
関ヶ原の戦い
1600年に起きた「関ヶ原の戦い」は、豊臣秀吉の死後、権力をめぐって勃発した戦いで、石田三成が率いる西軍と、徳川家康が率いる東軍の対決でした。
天下を争う一発勝負と呼ばれたこの戦いは、わずか一日で、徳川が率いる東軍の勝利に終わってしまいます。
この戦いの発端は、当時、関白であった豊臣秀吉が、自分の地位を盤石なものにするために作った「五大老」「五奉行」という役職が、かえって不平不満を招いた結果でもあります。
豊臣の死後、徳川が天下統一を狙って動き始めると、それを快く思わなかった石田が、反徳川勢力と結託して兵を挙げます。
結局、石田の側近である島左近が戦闘中に倒れ、小早川秀秋は東軍に寝返り、西軍の総大将となるべき毛利輝元までも動かないなど、さまざまな要因が重なり、西軍は大半の兵力を失ってしまいます。
ついに東軍の総攻撃を受けた西軍は、わずか6時間で壊滅してしまいます。
西軍の敗因は、多くの武将たちから不満を買っていた張本人である石田が実質的な大将だった点であり、東軍の勝因は、徳川が西軍の不満分子をうまく活用し、戦いやすいように作戦を展開した点ではないかと思われます。
小西行長陣跡
応答:
小西行長さんは、熱烈なキリシタンでしたよね?
この人が勝っていたなら、どうなっていたでしょうか?
キリシタン迫害はなかったでしょうか?
小西は西軍でした。
栄進様:
それは、なかっただろう。
応答:
徳川が勝ってよかったのですか、間違っていたのですか?
栄進様:
徳川が勝ってよかったと思う。
応答:
それで戦争がなくなったからですね。
栄進様:
そうだ。
応答:
キリシタンを迫害はしましたが。
栄進様:
そうだ。
応答:
それを汚点として残しましたね。
栄進様:
そのとおりだ。
応答:
いつか蕩減しなければなりませんね。
西軍は裏切り者が多くて負けたのですか?
栄進様:
西軍は弱かった。
石田三成陣跡
栄進様:
日本の歴史が……。
戦いの歴史が……。
終わった。
応答:
そうですね。
この戦い、関ヶ原の戦いで終わりましたね。
栄進様:
そうだ。
応答:
よかったですね。
栄進様:
うん、よかった。
応答:
そのための犠牲だったと考えればよいのですが。
栄進様:
そうだ、そのとおりだ。
応答:
平和を願う側が、結局は勝つのですね。
栄進様:
さあ、平和になってよかったという程度だろう。
応答:
それが神様と人々の願いですから、その側に運が従ったのかもしれませんね。
栄進様:
そのように終わったのだ!
応答:
もうこれ以上、戦いはやめようと言ったのでしょう?
もうこれ以上、血を流すのは嫌だと。
栄進様:
そうだ。
応答:
戦うことに疲れたのでしょう。
栄進様:
疲れもしただろう。
終わりのない戦いの歴史だったから。
応答:
戦いの悲惨さと悲しみを知る人なら、もうこれ以上、戦いは嫌だったでしょう。
栄進様:
そのとおりだ。
どのような世の中をつくるのか、ということではないか?
応答:
そうですね。
栄進様:
どのような世の中か。
戦いに勝つ人は、そのようなビジョンを持っていなければならないのだ。
応答:
そうでしょう。
徳川は、どのような世の中を夢見たのですか?
栄進様:
天下泰平!
応答:
ああ、そのような大義名分があったのですね!
栄進様:
そうだ。
天下泰平!
応答:
はい、そうなることを願います。
栄進様:
そうなることを願う。
応答:
関ヶ原の戦いのように、人類の戦いを終わらせましょう!
栄進様:
そうしなければならない。
応答:
天下泰平、日本から始めましょう!
天下泰平のために、徳川がもう一度、力を尽くさなければなりませんね!
栄進様:
そうしなければならない。
応答:
皆、一つにまとまりましょう!
関ヶ原の戦い決戦地
栄進様:
すべて忘れなさい!
応答:
すべて忘れましょう!
栄進様:
もう、すべて終わったことだから……。
終わったことだから……。
応答:
すべて終わりました!
今は一つにまとまりましょう!
栄進様:
いつまでも記憶は残るだろうが……。
悲しい心を、今は流していってください。
応答:
風に乗せて飛ばしましょう!
首塚
栄進様:
あまりにもむごいではないか?
応答:
むごいですね。
首を斬るのは、野蛮な風習ですね。
動物たちの首を斬るではありませんか?
徳川家康「天下泰平」
〜将軍と新しい文化創造〜
約260年にわたり「天下泰平」の時代を謳歌した初代・徳川家康をはじめとする15名の将軍たちは、自らが文化人であると同時に、文化創造の後援者であるという両面を持っていた。
将軍自らが画家などの芸術家を身近に置き、人材を養成することによって、江戸時代を通じて、さまざまな分野の新しい文化が花開く基盤を築いた。
文化に対する歴代将軍たちの影響力は、芸術分野だけではなく、学問分野にまで及んだ。
(おわり)

