長崎・日本二十六聖人殉教記念碑

 

長崎・日本二十六聖人殉教記念碑

1.西坂の丘で何が起こったのか

1597年2月5日、豊臣秀吉の命によって、キリスト教宣教師と日本人信徒、合わせて26人が長崎の西坂で磔刑に処せられました。

その内訳は、

  • フランシスコ会宣教師6人
  • イエズス会関係者3人
  • 一般信徒17人

で、日本人20人と外国出身者6人から成っていました。京都・大坂で捕らえられた人々は、厳しい冬の中、約1000キロに及ぶ道のりを長崎まで護送されたとされています。

西坂が処刑地となった理由については、長崎港を望む丘であり、キリストが十字架につけられたエルサレムのゴルゴタの丘に似ているため、殉教者たち自身がこの場所を望んだという伝承があります。

2.少年たちも含まれていた

26人の中には、12歳から14歳の少年が3人いました。

  • ルドビコ茨木 12歳
  • アントニオ 13歳
  • トマス小崎 14歳

少年たちは棄教すれば助けると勧められても、信仰を捨てなかったと伝えられています。記念碑では、この3人が他の人物より小さな像として表現されています。

また、中心的人物であるイエズス会士のパウロ三木は、十字架上から群衆に向かって、自分が処刑されるのはキリストの教えを広めたためであると語り、自分を処刑する人々をも赦す姿勢を示した人物として知られています。

3.「二十六聖人」と呼ばれる理由

26人は死後、キリストへの忠実を最後まで証しした殉教者として世界のカトリック教会で崇敬されました。

1627年に教皇ウルバノ8世によって福者とされ、1862年6月8日、教皇ピオ9世によって正式に聖人に列せられました。そのため「日本二十六聖人」と呼ばれます。

「聖人」とは、罪のない完全無欠な人というよりも、その生涯を通じて神への信仰と愛を特別な形で証しし、教会が全信徒の模範として公式に認めた人を意味します。

4.現在の記念碑

現在の日本二十六聖人殉教記念碑は、26人の列聖100周年を記念して、1961年から1962年にかけて整備されました。西坂公園には、記念碑のほか、日本二十六聖人記念館と聖フィリッポ教会が建っています。

記念碑の等身大ブロンズ群像を制作したのは、カトリック信徒でもあった彫刻家の舟越保武です。

26人が一列に並び、祈るように手を合わせ、天を見上げています。ただし、パウロ三木など一部の人物は手を広げ、記念碑を見る人に直接語りかけるような姿に造られています。

碑の上部にはラテン語で、

Laudate Dominum Omnes Gentes

と刻まれています。「すべての国々よ、主を賛美せよ」という意味です。その下に並ぶ多数の十字架は、26人が磔刑によって殉教したことを示しています。記念碑全体は、大浦天主堂の方向を向くように配置されています。

5.記念館と聖フィリッポ教会

記念碑の隣にある記念館と聖フィリッポ教会は、建築家の今井兼次が設計しました。今井はスペインでアントニ・ガウディの建築に感銘を受けており、聖フィリッポ教会の二本の塔や、色鮮やかな陶片のモザイクにガウディ建築の影響が見られます。

記念館には、日本のキリシタン史を示す資料のほか、フランシスコ・ザビエルの書簡、中浦ジュリアンの書簡、聖母画、殉教者の聖遺物などが収蔵されています。建物自体にも、処刑場の竹矢来、牢獄の格子、殉教者を刺した槍などを象徴する意匠が取り入れられています。

6.大浦天主堂との関係

大浦天主堂は、正式には「日本二十六聖殉教者聖堂」といい、この26人に捧げられた教会です。

1865年、この大浦天主堂で、約250年間潜伏して信仰を守ってきた浦上のキリシタンたちが外国人神父に自分たちの信仰を告白しました。これが有名な信徒発見です。したがって、二十六聖人の殉教と潜伏キリシタンの歴史は、長崎の中で一つにつながっています。

7.カトリック信仰における意味

「殉教」という言葉の原義は「証人となること」です。殉教者は、死を求めた人ではなく、生命を脅かされても信仰と良心を捨てなかった人と理解されます。

したがって、この記念碑は単に悲劇的な処刑を記録するものではありません。

そこには、

信仰の自由を奪ってはならないこと
暴力に対して赦しをもって応えること
国籍や身分を超えて人間の尊厳を守ること

というメッセージが込められています。

日本二十六聖人記念館も、西坂を「信仰の自由を奪った時代を二度と繰り返さず、平和を願う場所」と位置づけています。また、教皇ヨハネ・パウロ2世は、この丘をキリストへの忠実を証しした殉教者たちの場所として語りました。

8.長崎の歴史の中での位置

西坂では、1597年の26人だけでなく、その後も多くのキリスト教徒が処刑されました。このため、西坂は日本のカトリック教会にとって、迫害と殉教の歴史を象徴する場所となっています。1950年には教皇ピオ12世によって、カトリック教徒の公式巡礼地に指定されました。

この記念碑は、26人の死を英雄化するためのものではありません。信仰のために命を奪われた歴史を記憶し、現代における信教の自由・良心の尊重・赦し・平和について考えるための記念碑なのです。

(おわり)

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