古来、日本と韓半島は「一衣帯水」の関係。

対馬海峡を隔てて向かい合う両地域は、海によって分断された世界ではなく、むしろ人・物・文化が往来する海上の道によって結ばれていました。稲作、金属器、土器文化、漢字、仏教、儒教、律令制度、建築技術、工芸、音楽など、日本列島の古代国家形成に深く関わる多くの要素は、韓半島を重要な経路として伝えられたものです。

とりわけ百済・新羅・高句麗・伽耶などとの交流は、単なる外交関係にとどまらず、渡来人の移住、技術者・僧侶・学者の往来、婚姻や同盟関係を通して、日本社会の基層形成に大きな影響を与え、東アジア文明圏の中で共に歩んできた隣人なのです。

日本と韓半島のあいだの不幸な歴史。

しかし、その長い歴史の中には、忘れてはならない不幸な時期もありました。

豊臣秀吉による韓半島侵攻、いわゆる文禄・慶長の役は、朝鮮半島の人々に甚大な被害と苦痛をもたらしました。また近代においては、日本による韓国併合と植民地支配の時代がありました。1905年の保護国化から1945年の解放までを考えれば約40年の時期は、韓半島の人々に深い傷を残しました。

このような不幸な歴史を軽く見ることはできません。過去の事実を誠実に見つめ、苦しみを受けた人々の記憶に耳を傾けること。真の和解は、過去を忘れることによってではなく、過去を正しく受け止め、その上で互いを尊重するところから始まるからです。

日帝統治時代に北朝鮮の地に文鮮明先生が聖誕。

1919年、「3・1独立運動」が起こり、朝鮮全土に独立を求める民衆運動が広がりました。文鮮明先生は、この運動の翌年1920年に韓半島に聖誕され、青年期より神の召命を受けてイエス様の未完の使命を継承する生涯を歩まれました。苦難と迫害の中で1954年に世界基督教統一神霊協会を創立、1960年には韓鶴子女史と聖婚され、祝福結婚を通して理想家庭と人類一家族世界の実現を推進しました。以後、世界宣教、宗教間対話、反共・勝共運動、南北統一運動、国際平和運動、教育・言論・文化・経済分野にわたる多方面の事業を展開、神を中心とした世界平和の基盤造成に尽力されました。その生涯は「神の下の一つの人類家族」を実現するための、祈りと実践と犠牲の歩みであったのです。

統一教会の分裂と大艱難時代の到来。

統一運動は、文鮮明先生の聖誕から聖和に至るまで、神の摂理と人類一家族世界の実現を掲げ、世界的な宣教と平和運動を展開してきたのです。しかし、文先生の晩年から聖和後にかけて、運動内部には深刻な分裂と混乱が生じました。

主流派の【世界平和統一家庭連合】は韓鶴子総裁を中心に【真の父母論】を宣布、清平聖地に【天苑宮・天一聖殿】を建設し、文鮮明先生の思想と伝統から大きく乖離してしまいました。すでに分離していた三男の顕進様は【家庭平和協会】を設立、四男の国進様と七男の亨進様は【世界平和統一聖殿】を設立しました。

このような成約聖徒の分裂にたいして2025年から神の審判が下されます。2025年暮れには、韓国で韓鶴子総裁がソウル拘置所に収監される異常な事態が起こります。2026年三月には日本において【宗教法人解散命令】高裁判決が下されました。

神は【大艱難時代】を越えるために霊界補佐官を準備。

成約摂理史における未曾有の【大艱難時代】は、どのように克服すべきでしょうか。それは、成約聖徒が直接、真のお父様の心情を訪ね求める道しかありません。

しかし、神はこの【大艱難時代】のために一人の霊界補佐官を準備されました。その方こそが文鮮明先生の六男、文栄進様なのです。

文栄進様は文鮮明先生の六男として1978年に聖誕されました。その後コロンビア大学で2年間「東洋学」を専攻、ホテル経営学へ進むため西部へ移動しネバダ州リノのホテルに短期滞在中、転落事故に遭遇しました。これは、文鮮明先生がおしゃるとおり、重大な摂理的転換のための「摂理的な出来事」でありました。

文鮮明先生は、三分の一を超える直系子女様を義性にされながら、成約聖徒を生かされる道を歩んでこられました。栄進様は今も日韓を往復しながら、日韓祝福家庭の山下美智代さんが霊媒となり、文鮮明先生の霊界補佐官の道を歩んでおられるのです。

(【美しい日本の会】の沿革 文責:生田禎三)