【霊界解放シリーズ355】継体天皇は百済・武寧王の従弟「新羅系から百済系へと王朝交代!」(2023,05,02)

【霊界解放シリーズ355】継体天皇は百済・武寧王の従弟
「新羅系から百済系へと王朝交代!」
大阪府茨木市太田にある「三嶋藍野陵(太田茶臼山古墳)」は、実際の被葬者は明らかではありませんが、宮内庁によって第26代・継体天皇陵に治定されています。
ところが、この全長227メートルの前方後円墳が築造された時期は、継体天皇の在位期間(507年?~531年)より約60年早い、5世紀中頃であることが判明しています。
そのため現在では、この古墳から1.3キロメートル離れた場所にある、6世紀前半に築造された全長190メートルの今城塚古墳が、実際の継体天皇陵としてふさわしいと考えられています。
『日本書紀』によると、暴君として知られる第25代・武烈天皇が亡くなり、後継者がいなかったため、適任者を探した結果、父が第15代・応神天皇の五世孫、母が第11代・垂仁天皇の七世孫に当たる継体天皇を擁立したとされています。
しかし、これは出自の不明確な継体天皇の正統性を確保するために作られた系譜であるともいわれています。
一方、503年に百済の武寧王(在位501~523年)が倭王に贈ったとされる、隅田八幡神社(和歌山県橋本市)の「人物画像鏡」を根拠として、「継体天皇は武寧王の弟である」と主張する説があります。
この鏡には、武寧王が弟の長寿を願う内容が記されているからです。
「癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟」
これは、
「503年、大王の時代に、男弟王が忍坂宮にいた時、斯麻が弟の長寿を願ってこれを贈る。開中費直と穢人今州利ら二人を遣わし、良質な白銅二百旱を用いてこの鏡を作った」
と解釈されます。
「男大迹」は、継体天皇が王となる以前の本名であり、「斯麻」は武寧王の本名です。
『日本書紀』によると、武寧王は百済の蓋鹵王(在位455~475年)の子として、九州・佐賀県で生まれました。
461年、蓋鹵王が弟の昆支を倭国へ使者として送る際、昆支の懇願に応じて、自分の妊娠中の妻を昆支の妻として同行させました。
その途中で産気づいたため、佐賀県の加唐島に立ち寄り、武寧王を出産したとされています。
一方、崔仁浩の歴史小説『帝王の門』では、昆支が蓋鹵王に王位と婚約者を奪われて追放された後、蓋鹵王の王妃となっていた自分の婚約者を連れ去り、日本へ亡命したと描かれています。
実際には、こちらのほうが真実に近いと見ることができます。
一方、「三嶋藍野陵」の実際の被葬者は、継体天皇ではなく、武寧王の実父である蓋鹵王です。
475年、高句麗の長寿王が3万の兵を率いて百済へ侵攻した際、蓋鹵王をはじめとする百済の王族や王子たちは捕らえられて斬首され、蓋鹵王は野原に仮埋葬され、墓碑さえ建てられませんでした。
また、継体天皇は蓋鹵王の弟・昆支の子であるため、武寧王の従弟に当たります。
そして、第15代・応神天皇から第25代・武烈天皇までの王朝は新羅系であり、それが継体天皇の時代に百済系王朝へと交代し、その後、今日まで続いてきたのです。
継体天皇が即位してから都へ入るまでに20年もの歳月がかかった理由も、王朝交代に対する強い反発があったためでした。
栄進様との対話
(4月20日、三嶋藍野陵)
ヨンジン: 申し訳ないけれど、継体天皇はここにはいないのに、皆はよく分かっていないようだね。
応答: それでは、なぜここに陵を造ったのでしょうか?
ヨンジン: ここにいらっしゃると思っているではないか?
応答: そうでしょうね。
ヨンジン: ここにはいないのだ! 私がここへ来たのは、その人、つまり継体天皇ではなく、別の人がここにいるからだ。
応答: 誰がいらっしゃるのですか?
ヨンジン: お父さん!
応答: 継体天皇は幼い頃に父親を亡くしたのですよね? そのお父さんが、ここにいるということですか?
ヨンジン: 継体天皇のお父さんではない。
応答: それでは、誰のお父さんですか? ここは継体天皇の墓ではないのですか?
ヨンジン: まあ、そういうことになっているのだろう。
応答: 継体天皇のお父さんでないなら、誰のお父さんなのですか?
ヨンジン: 継体天皇ではない、別の人だ。
応答: ああ、別の人なのですね! その方も天皇だったのですか?
ヨンジン: (うなずきながら)天皇だった!
応答: 継体天皇は、その天皇の子だったのですか?
ヨンジン: 違う! 違う!
応答: では、先ほどの天皇と継体天皇は、どのような関係なのですか? ここにいらっしゃる天皇と、継体天皇とはどのような関係ですか?
ヨンジン: 兄弟だ!
応答: なるほど、兄弟なのですね。その人も天皇だったのですか?
ヨンジン: 天皇だった!
応答: 立派な家系ですね!
ヨンジン: 実は、継体天皇は本当に別の所から来た人なのだ。
応答: 兄弟ではあるけれど、親が違うのですか?
ヨンジン: そうだ、そうだ!
応答: そうなのですね。百済から来たのですか? それとも新羅から来たのですか? その人は海外貿易など、国際的な感覚を持っていましたよね。開放的な人物だったのではありませんか?
ヨンジン: そうだ!
応答: それで、人々はどちらの系統なのか分からず、混乱しているようですね。
ヨンジン: そうなのか……百済だ!
応答: そうですね。百済と親しかったのですから! そのとおりです!
ヨンジン: 実は、人々は彼をとても嫌っていたのだ!
応答: そうでしょうね。非常に優れた人材だったのではありませんか?
ヨンジン: そうだ、そのとおりだった。
応答: 庶民的な人だったのでしょう。民を助けるために、自ら何かをしたいと考えていたのではありませんか?
(継体天皇は人柄が良く、農業や養蚕を怠れば国は繁栄しないとして、福井から連れてきた妻と共に、自ら率先して働いたといわれています。)
ヨンジン: そうだったのかもしれない。
応答: しかし、皇室に入れば、そのようなことはできなくなりますよね。
ヨンジン: そうだろう。
応答: もう一度、自分の能力を発揮できる機会が与えられるとよいですね。それほど才能のある方なのに、本当にもったいないではありませんか。
国際的な人材を迎え入れたというのは、非常に優れた考えだったと思います。
ヨンジン: そうだ。彼は優れた人材だったからね!
応答: 国際的にスカウトされたということですよね? 素晴らしいではありませんか。日本の発展にとっても良いことです。いわば、ヘッドハンティングのようなものですから。
お兄様である天皇も、もう一度、共に一生懸命やってみましょう!
ヨンジン: その人とは、あまり仲が良くなかったのだ!
応答: なぜ仲が良くなかったのですか? 兄弟ではありますが、どちらが兄なのですか?
ヨンジン: こちらだ!
(墓を見ながら)立派な人だ!
応答: この方は日本で生まれたのですか?
ヨンジン: (うなずきながら)そうだ!
応答: ルーツが違うのですか?
ヨンジン: そうなのだ!
応答: それで仲が良くなかったのですね。カインとアベルのような立場だったのですね。
ヨンジン: いわば、そういうことだ。
応答: 年齢もかなり離れていたのでしょうか?
ヨンジン: そうだった。
応答: そうなのですね。あの時代に、皆が一生懸命に生きていたのですね。最善を尽くしてくださり、ありがとうございます!
ヨンジン: ここへ来たのは、あの人、つまり継体天皇を悲しませないために……。
応答: お願いをしに来たのですね?
ヨンジン: 継体天皇が悲しまないように!
応答: そうしなければなりませんね。
ヨンジン: 悲しませてはいけない!
応答: もちろんです。
ヨンジン: この人、つまり蓋鹵王か武寧王を助ければ、継体天皇は喜ぶのだ。
応答: そうなのですね。器の大きな人なのですね。
ヨンジン: そのような人だ。この墓には、その人、つまり蓋鹵王だけがいるのではない。
応答: ああ、多くの方々がいらっしゃるのですね! 和解できるとよいですね。
ヨンジン: そうだ。そうすればよい。
応答: それが、この国が飛躍する道なのでしょう。神様も驚かれるでしょう。
「兄弟が一つになったのか? それなら、この国を祝福しよう!」
どうか、お願いいたします。兄弟が固い愛情で結ばれた模範を示してください! お願いいたします!
ヨンジン: その言葉のとおりだ!
応答: 日本から世界へ、模範を示しましょう!
ヨンジン: 示そう!
(おわり)




